モルドバの祝日の1つに、独立記念日(Independence Day)があります。
モルドバの独立記念日は8月27日に定められており、毎年盛大に祝われています。
日本は外国から統治された歴史がないので、日本人は「独立」という言葉にピンとこないかもしれません。
しかし、モルドバのように、世界には幾多の苦難を乗り越えて独立を勝ち取った国がたくさんあります。
そこで本記事では、モルドバの「独立記念日」について解説します。
独立の経緯についても詳しく触れるので、これを機にモルドバの独立記念日について理解を深めましょう。
1モルドバ独立の経緯

モルドバ独立への道のりは容易ではありませんでしたが、モルドバ国民の独立への強い想いが勝利を収めました。
ここでは、モルドバ独立までの流れを時系列に沿って解説します。
モルドバは第二次世界大戦後に旧ソ連に統治されており、宗教弾圧など厳しい扱いを受けていました。
そのため、モルドバ国民の旧ソ連に対する不満や、独立に対する想いが日に日に強くなってました。
そして、モルドバ独立の流れは1986年の旧ソ連の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフの導入した政策をきっかけに活発になっていったのです。
ゴルバチョフがペレストロイカを支援するために 1986年にグラスノスチ政策(情報公開)を導入しました。
このグラスノチ政策の導入をきっかけに、モルドバの民主化運動の形成につながります。
1988年以降、旧ソ連に属していた国では旧ソ連から独立するための動きが強くなってきました。
1989年にはモルドバのナショナリスト人民戦線(FPM:Frontul Popular din Moldova )が結成され、モルドバも周辺諸国と同じように旧ソ連からの独立に向けて様々な運動を起こすようになります。
そして1989年8月27日、FPMがキシナウで大規模なデモを起こし、ソ連当局に圧力をかけました。
デモから4日後の1989年8月31日には、旧ソ連当局に言語法を改編することを認めさせることに成功します。
これにより、ラテン文字で書かれたモルドバ語を公用語として扱われることが認められました。
また、多くのモルドバ人に馴染みがあったルーマニア語も公用語として採用されることも決まりました。
翌年には、政治においても独立の動きが活発になります。
1990年2月から6月にかけて、地方議会の最初の独立選挙が行われました。
この選挙でミルチャ・スネグルが議会議長に選出され、ミルチャ・ドゥリュックが初代首相に選出されました。
1991年6月23日、議会はソビエト社会主義共和国モルドバの主権宣言を採択しました。
この宣言により、モルドバの法律が旧ソ連の法律よりも優先されることになったのです。
1991年8月27日、ソビエトのクーデターが失敗した後、モルドバは独立を宣言しました。
この独立を宣言した8月27日が「独立記念日」と定められました。
1992年3月2日、モルドバは国連によって正式に独立国家として承認されます。
こうして名実ともにモルドバの独立が成立することになりました。
2モルドバの独立記念日はどうやって祝われているのか

モルドバでは、独立記念日は祝日として定められています。
そのため独立記念日は、毎年休みになる学校や休業日にしている企業が多く、多くのモルドバ国民が独立記念日を祝っています。
クリスマスと同じように、多くの商店も休業します。
独立記念日の公式行事は、首都キシナウの歴史的モニュメントに献花し、過去の歴史を称えることから始まります。
そして、大統領が国民へ向けて演説します。
首都の中心にある国民議会広場では、盛大なパレードが開催されます。
色とりどりの刺繍が施されたモルドバの民族衣装を着た人々が、独立記念日のパレードに彩りを添えます。
また、モルドバの民族楽器が街を彩り、ホラと呼ばれる伝統的な踊りが披露され、空には花火が上がります。
3モルドバの独立を祝おう!

モルドバは多くの苦難の末に独立を勝ち取った歴史があります。
そのため、多くのモルドバ国民にとって独立記念日は大切な日であり、今でも盛大に祝われています。
運よく8月27日にモルドバに滞在できる時は、ぜひモルドバの人と一緒に独立記念日を祝ってみてはいかがでしょうか。