日本同様、モルドバにも様々な祝日があります。その祝日の一つに、「国民文化の日」があります。
本記事ではモルドバの「国民文化の日」を紹介し、「国民文化の日」と関係の深い、ミハイ・エミネスクという人物についても紹介します。
1モルドバの「国民文化の日」とは

「国民文化の日」とは、1月15日に制定されている、モルドバとルーマニアの祝日です。
この祝日は、文化について考える日という意味合いがあります。
モルドバとルーマニアで詩聖とされているミハイ・エミネスクの誕生日が1月15日であったことから、モルドバでは1月15日が「国民文化の日」として制定されました。
ミハイ・エミネスクの誕生日が文化の日として選ばれた理由には、彼がモルドバとルーマニアの人々にとって比類のない詩人であること、文学だけでなくジャーナリズムや哲学においても卓越した個性が印象的だったことの2つが挙げられます。
また、ミハイ・エミネスクの作品から感じ取れる知性、ヨーロッパレベルの文化、言語の豊かさと魅力が高く評価された結果とも言えます。
「国民文化の日」の毎年1月15日には、モルドバとルーマニアの各地で文化に関するイベントが催されています。
2ミハイ・エミネスクの功績

ミハイ・エミネスク(1850〜1889)は、ルーマニアとモルドバで最も有名な詩人です。
ミハイ・エミネスクは1850年1月15日に、当時モルドバ領(現在のルーマニア領であるボトシャニ)にて、モルドバ人として産まれました。
そのため、モルドバでも、ルーマニアでも彼の功績は人々に讃えられています。
ミハイ・エミネスクは若い頃から詩人として頭角を表し、若干16歳で最初の詩集を出版しました。そして、ウィーン留学を経て、保守党(ルーマニアの主要な2つの政党の1つ)の公式新聞である、Timpul( “The Time”)の編集者も歴任しました。
ミハイ・エミネスクの詩は、自然、愛、憎しみ、社会的な論評など、幅広いテーマにまたがっています。彼の詩は60以上の言語に翻訳され、世界中で親しまれています。
彼が遺した詩は、モルドバとルーマニアの文化に大きな影響を与えました。そして、彼の詩を学ぶことは、ルーマニアの公立学校の必修科目になっています。
エミネスクの代表的な詩には、以下のものがあります。
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%AF)
・ドイナ(Doina) (ドイナとはルーマニアの歌の伝統的な型の名)1884
・湖 (Lacul)1876
・金星ルチャーファル(Luceafărul)1884
・青い花(Floare albastră)1884
・願望(Dorinţa)1884
・丘の上の夕暮れ(Sara pe deal)1885
・ああ、追憶のなかで(O, rămâi)1884
・模倣者たち(Epigonii)1884
・手紙(Scrisoarea) 1881
・そして、もし(Şi dacă)1883
・古代の韻による叙事詩(Odă (în metru antic))1883
・私はまだ、一つの望みを持っている(Mai am un singur dor)1883
・おやすみ、森の小鳥たち (Somnoroase Păsărele)
特に「金星ルチャーファル」は重要な詩で、ルーマニアの高校の卒業試験で詩の暗記が必須になっています。
31月15日はモルドバ文化に触れよう!

本記事では、モルドバの「国民文化の日」とミハイ・エミネスクについて解説してきました。
国民文化の日は、モルダビアが生んだ詩人、ミハイ・エミネスクの誕生日である1月15日に制定されています。
ミハイ・エミネスクはルーマニアとモルドバに大きな影響を与えた詩人であり、多くの作品を遺してきました。
1月15日あたりでモルドバを訪問する際は、ぜひイベントに足を運び、モルドバ文化に触れてみてはいかがでしょうか。