モルドバで一番大きい都市はキシナウですが、モルドバ第二の都市をご存知でしょうか?
モルドバ第二の都市は、北部にあるバルツィという都市です。
バルツィは近年の発展が目覚ましく、首都のキシナウと同じくらい魅力のある街だと言われています。
そこで本記事では、モルドバ第二の都市であるバルツィについて紹介します。
1バルツィはこんなところ

バルツィは人口、面積、経済的重要性の点でキシナウに次いでいるため、モルドバ第二の都市とされています。
そして、モルドバの北部に位置していることから「北の首都」と呼ばれています。
バルツィは首都のキシナウから北へ135kmに位置しています。
近くにはドニエストル川の支流であるラウト川が流れ、周りは丘陵地に囲まれています。
中世時代は街が森に覆われていましたが、現在ではそのほとんどが切り開かれています。
モルドバ第二の都市と言われているバルツィですが、近年の経済や観光業の発展は目覚ましく、発展度合いはキシナウを凌ぐと言われているんです。
そのため、今後のモルドバ経済や観光業をリードする都市としても期待されています。
また、バルツィには魅力的な観光地も有しています。
戦間期の間、バルツィはモルドバでほぼ唯一の大都市であり、多くの大聖堂と歴史的建造物で建設され続けました。
幸いなことに、建設された大聖堂と歴史的建造物の多くは現在も残っており、バルツィ観光の目玉となっています。
2バルツィへのアクセス

まず、地図でバルツィの位置を確認しておきましょう。
キシナウからバルツィまでは、車で約2時間かかります。
また、キシナウの中央バスターミナルからは、バルツィへのミニバスが頻発してます。
車で行けば2時間ほどで到着しますが、バルツィまでの車窓からはモルドバののどかな風景も楽しめます。
3バルツィの歴史

バルツィの歴史の始まりは1421年まで遡ります。
当時のモルダビアの皇帝である、アレクサンドル・ドブリーは、前妻のリンガル王女にいくつかの村と「砂漠の地」を献上しました。
その献上された「砂漠の地」の一つが、バルツィという集落でした。
バルツィに関する記述の中には、いくつか興味深いものもあります。
18世紀半ばまで、バルツィは沼地に囲まれた小さな村でした。
この環境もあってか、18世紀にバルツィが熱病の発生源となりました。
熱病の発生源になったことから、当時のバルツィは「熱の巣」とも呼ばれていました。
また、バルツィの発展に関して、次の記録も残っています。
1818年、ロシア皇帝アレクサンドル1世がモルドバを訪れます。
そして、首都キシナウに向かう途中でバルツィに立ち寄り、そこで孫の誕生の知らせを受けました。
アレクサンドル1世は孫の誕生を記念して、出発前にバルツィを重要な都市にすると宣言しました。
この宣言がきっかけで、後にバルツィが発展していくことになります。
4バルツィにも足を伸ばしてみよう!

モルドバの北の首都と言われているバルツィは、年々、旅行者にとって興味深く、魅力的な場所になってきています。
歴史的なモニュメントや素晴らしい自然を持つバルツィは、観光においてはキシナウのライバルになり得る存在です。
モルドバを訪れた際は、ぜひ北部のバルツィにも足を運んでみてください。