モルドバには美しい修道院が点在しており、その多くがモルドバの観光名所になっています。
そのモルドバの美しい修道院の一つに、カプリアナ修道院があります。
本記事では、カプリアナ修道院を紹介します。
目次
1カプリアナ修道院はどんな修道院?
カプリアナ修道院は、モルドバで最も古い修道院のひとつです。
カプリアナ修道院はモルドバの歴史にとって重要な価値を持っており、1429年の設立以来、多くのモルドバ国民から愛されてきました。
カプリアナ修道院の敷地内には、3つの教会が併設されています。
その3つの教会の中でも、特に聖ゲオルグ教会は必見です。
聖ゲオルグ教会は1907年に建てられた、後期バロック様式の教会です。教会の中に入るとすぐにその大きさに圧倒されます。
運良く教会内でミサなどを体験できれば、言葉にできないほどの貴重な経験になることでしょう。
ちなみに、モルドバの1レイの紙幣には、このカプリアナ修道院が描かれています。
2カプリアナ修道院が歩んだ歴史
1429年に建設され、当時のモルドヴィア公であるアレクサンダー1世が修道院の最初の教会長を務めたと記されています。
彼は、修道院といくつかの村(修道院の財産の一部)を王女マレナに寄贈したとされています。
また、中世ヨーロッパでは、修道院が力を持っている時代でした。
そのため、15世紀頃のモルドバ公だったシュテファン3世は、修道院をひいきにしていました。
そして、シュテファン3世は修道院の敷地内に教会を建設し、修道院の力を借りながら領土を拡大したと言われています。
アトス修道院(ギリシャ)の付属修道院になる
17世紀頃のヨーロッパでは、国の間で修道院の譲渡が行われていた時代でもありました。
カプリアナ修道院も、ギリシャの修道院に譲渡された歴史を持っています。
1698年、当時のモルダヴィア公であるアンティオキ・カンテミールは、ギリシャのアトス修道院にカプリヤナ修道院を譲渡しました。
その後、カプリアナ修道院は、しばらく大主教邸宅として利用されることになるのです。
旧ソ連統治時代に宗教弾圧を受ける
第二次世界大戦後、モルドバは旧ソ連に統治されるようになります。その旧ソ連統治時代に、約40年にわたってモルドバは厳しい宗教弾圧を受けました。
旧ソ連から受けた宗教弾圧により、多くの宗教施設が被害を受けました。
このカプリアナ修道院も例外ではありません。
修道院で生活していた修道士は迫害され、修道院は約50年もの間、子供と結核患者のための療養所として利用されるようになります。
しかし、旧ソ連の勢力が弱まり始めた1989年に、修道院は再び開放され、修道院としての機能が回復されました。
3カプリアナ修道院の敷地内と周辺
カプリアナ修道院の敷地内には、カプリアナ図書館が併設されています。
カプリアナ図書館はモルドバ最大の修道院図書館で、多くの歴史的書物が所蔵されています。
この図書館では、モルドバの要人から寄贈された貴重な写本や、シュテファン3世の時代から続くモルドバの歴史が書かれた書物を読むことが可能です。
カプリアナ修道院は雄大なコドゥルの森の中心部に位置しており、修道院の見学だけでなくモルドバの美しい自然も堪能できます。
カプリアナに来たら、スイスの静かな丘を思わせるようなコドゥルの森でしばらく時間を過ごしてみるのがおすすめです。
ここでは、豊富な森林、冷たい空気、素晴らしい景色が堪能でき、自分を見つめ直す貴重な時間が過ごせることでしょう。
4カプリアナ修道院へのアクセス
カプリアナ修道院は、首都のキシナウから40km離れた位置にあり、車で1時間程度でアクセスできます。
キシナウ市内からタクシーをチャーターしたり、ツアーを利用すれば日帰りでも訪問可能です。
5カプリアナ修道院でモルドバの歴史と自然を感じよう!
カプリアナ修道院はモルドバで最も古い修道院であり、モルドバの歴史でも重要な価値がある修道院です。
カプリアナ修道院は現在までに、ギリシャの付属修道院になったり、旧ソ連時代には療養所として利用されるなど、激動の歴史を歩んできました。
また1モルドバレイの紙幣にも描かれているので、常にモルドバ人の身近なところにあります。
カプリアナ修道院の周囲は、自然に囲まれてゆったりした時間が流れているので、都会の喧騒に疲れた際は気分転換として訪問するのもおすすめです。