中世のモルドバは周辺諸国からの侵略を受ける機会が多かったため、国を守るためにいくつかの要塞が建設されました。
その要塞の一つにソロカ要塞があります。ソロカ要塞はモルドバ北部にある、ユニークな造りをした要塞です。
本記事では、このソロカ要塞を紹介します。
1ソロカ要塞とは?

現在、ヨーロッパ各地には数々の要塞が残っていますが、特徴的な要塞は数えるほどしかありません。その数少ない特徴的な要塞の一つが、モルドバ北部のソロカにあります。
ソロカ要塞は1499年にステファン・チェル・マーレによってソロカの街に建てられた、東ヨーロッパでは類例のない要塞として知られています。
ソロカ要塞は15世紀から16世紀にかけて建設された要塞の中では、珍しい形をしています。
15世紀から16世紀にかけて建設されたヨーロッパの要塞は、長方形や正方形、多面体であることが一般的でした。しかし、ソロカ要塞は円形をしています。直径が30.5 mの円形の中庭、5つの円形の塔、入口通路のある角柱状の塔があり、それらすべてが等距離に位置しています。この形状は「最高の調和の法則」に基づいていると言われており、当時のヨーロッパの要塞には類を見ない革新的なものでした。
ソロカ要塞は、ヨーロッパの建築の目覚ましい発展を象徴する建造物の1つであり、当時の職人の建設技術の高さを知れる場所になっています。
2ソロカ要塞が拠点となった戦い

ソロカ要塞の歴史は、他の多くの要塞と同様にたくさんの劇的な出来事に満ちています。
多くの要塞は、侵略してきた周辺諸国から国を守る目的で建設されています。すなわち、要塞が建設されている国や地域は、戦争や周辺諸国の襲撃が頻繁にあったことを意味します。
16世紀後半から17世紀にかけて、ソロカ要塞には80〜100人ほどの小さなモルダヴィア兵が駐屯していました。彼らはポーランド人やザポリージアのコサックの攻撃から国を勇ましく撃退することに成功しました。モルダヴィア兵は、敵がドニエステルの右岸を越えて公国に侵入するのをするのを決して許しませんでした。
1711年、モルダヴィア軍はロシア軍と統合してオスマン帝国に対抗しました(プルート作戦)。この戦いでもソロカ要塞が拠点となり、巨大なオスマン帝国との戦いに勝利しました。当時のオスマン帝国は勢力を誇っていたので、この戦いでの勝利は世界に大きな驚きを与えました。
1738年、ソロカ要塞はカプニスト大佐の分隊に占領され、壊滅的な被害を受けました。
この戦いはソロカ要塞の軍事史における最後の戦いであり、修復されるまでに長い年月を要しました。
ソロカ要塞の修復作業は1968年に行われ、現在の姿になっています。
3ソロカ要塞にまつわるコウノトリ伝説

モルドバには、その土地にまつわる伝説がいくつもあります。
その伝説の一つが、ソロカ要塞にまつわるコウノトリの伝説です。
16世紀後半から17世紀の戦乱の時に要塞の守備隊は長い間、要塞にこもって敵に抵抗していました。長く要塞から出られなかったため、ついに食料が底をつき、喉の渇きで死にそうになっていました。
そんな時、1羽のコウノトリがソロカ要塞に飛んできました。そのコウノトリはブドウをくわえており、ブドウを兵士に投げてくれました。コウノトリが一房のブドウを運んできてくれたおかげで、兵士は生き延びることができたといいます。
コウノトリは、この伝説のためにモルドバのシンボル的な存在になりました。
現在では、一房のブドウとコウノトリを描いたモチーフが多くのワイナリーで使用されています。
4モルドバに残る貴重なの要塞

ソロカ要塞はモルドバに残る数少ない城塞で、今日まで保存されています。その建築的な独自性から、単なる文化財ではなく、モルドバの国家的な保護シンボルにもなっています。
ソロカ要塞は紙幣やパスポートの片面にも描かれています。この名所はいつもモルドバ人の身近なところにあり、モルドバの防衛に大きな役割を果たしたことを思い起こさせてくれるのです。
モルドバに行く際はぜひソロカ要塞に行って、モルドバの歴史を感じてみてください。